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短眠のためのテクニック

 

●ストレスがもたらす最悪のループ

 

ストレスは睡眠にとって一番の大敵になります。

なぜなら、ストレスとは生命の危機を本能に感じさせるものであり、本能はストレスから逃げようとするため結果的に睡魔を発生させます。

 

ストレスがかかる空間に強制的に閉じ込められる場合---たとえば授業中の教室や会議室など、特定の空間に望まずに閉じ込められているときには、つねに睡魔が発生する原因になります。

 

また、ストレスがかかった状態で睡眠をとるということは、眠気を飛ばすレム睡眠が極端に減ってしまうため、寝床に入るまでにある程度ストレスを解消しておかないと、睡眠不足の症状が出てしまいます。すると、仕事中の倦怠感や集中力の低下によって、ストレスがストレスを生むという連鎖が発生します。

 

確かに睡眠中にストレスを発散するという効果が期待できますが、根本的な問題解決になっていないことや、頭の中で悩みがぐるぐる回ってなかなか眠れないという事態が発生し、徐々に不眠症に発展することになります。自力で睡眠を満足にとれなくなってしまった結果、最悪の場合は睡眠薬向精神薬といった薬の処方を受けることにもなりかねません。

 

結局は、ストレスそのものの原因を把握して、その問題解決に力を注ぐことが大切なのです。そのための時間をつくることが短眠の目的やメリットの一つであったはずです。結果的に、ストレスによる睡魔が軽減し、行動数が増えることで短眠に有利な状況をつくることができます。

 

 

●お酒を飲んで寝ると睡眠ではなくて気絶になる

睡魔を誘発するものとして代表的なものがアルコールですよね。では、短眠で過ごすためには、アルコールは控えたほうがいいのでしょうか。

アルコールによる睡眠への影響をまとめてみました。

 

■夢を見やすくなる

アルコールは全身を倦怠感に包み込むのと同時に、脳の大脳皮質を麻痺させる効果もあります。さらに、メタ認知をつかさどる前頭前野を麻痺させるので、自分が行っている行動を自分事として捉えられなくなり(フワフワとした感じ)、睡眠中に夢を見ることが多くなります。

 

■リバウンドが起こる。

アルコールが脳を麻痺させて、気絶のような状態をつくってしまうのは、脳が能動的に睡眠という活動を行っていることと違い、受動的に脳の機能をシャットアウトしていることになります。結果として、脳は睡眠をとったと認識しないため、次の睡眠の機会にリバウンド現象が起こり、長時間眠ろうとします。

また、生理的な睡眠ではないため、レム睡眠とノンレム睡眠のサイクルが不安定になります。

 

■脳がクールダウンしない

アルコールは血管収縮作用を起こし、結果として血流を悪くし、繊毛運動が抑制されることで、鼻づまりを起こします。すると口呼吸になり、普通に眠るよりも脳がクールダウンしにくい状況となります。

 

■習慣化しやすい

アルコールは簡単に快楽や睡眠と似た感覚を得られることから、非常に習慣になりやすい特性を持っているのも問題です。

 

しかし、アルコールも生活の一部となっていて、ストレス解消にもなっているのであれば、「やめろ」と言うのはやや酷というもの。

睡眠にとってこうした負の作用があることを認識し、自分の身体と睡眠時間をよく観察したうえで嗜んでいただければと思います。

 

 

 

 

●眼精疲労を起こさないようにする工夫

 

目の疲れも睡魔を発生させやすくなります。自宅でのパソコン作業中、「目が疲れたきたな」と感じて、うっかりソファーに横になってしまうこともあるでしょう。

 

なぜ目が疲れると眠くなるのでしょうか?

 

人は、情報の8割を視覚から手に入れていると言われていますが、眼精疲労になると目からの情報収集能力が低下してしまいます。すると、ドーパミンやアドレナリンといったモノアミン系神経伝達物質の刺激が弱くなるため、「今はそんなに重要なタイミングじゃないんだ」と本能が勝手に認識してしまい、眠気が発生するというわけです。

 

そもそも、睡眠は必ず目を閉じている状態から発生します。眼精疲労になると、まばたきの回数や目をつぶる回数が増えるため、いつの間にか寝てしまうことがあるのです。

 

こういった状況を回避するためには、疲労困憊してしまう前に、目を休ませなければなりません。睡眠中は目を休めていると捉えている人が多いのですが、それは勘違いです。急速眼球運動をしていたり、半分目を開いて、周囲の状況を確認したりしています。ほかにも、目が乾燥したり、血流が悪くなります(ただし、オフィスワークなどで、同じ画面をずっと見続けるような人にとっては、急速眼球運動のときに眼筋のストレッチを行ってると解釈することもできます)。

 

眼精疲労を回避するということは、睡魔の発生を抑えるだけでなく、情報の受容感度を鈍らせず、集中力を高める作用があるという点でも、あらゆる日常生活のクオリティに直結します。

 

 

●眼精疲労への根本的な対処法

 

現代における眼精疲労のほとんどがパソコンやスマートフォンの画面を見ることや勉強によって、近い距離のものを見続けるという静止疲労になります。室内から外に出てウォーキングをしたり、オフィスの窓からぼんやりと外を眺めることで眼精疲労は軽減できます。また、眼精疲労を感じる前に定期的にアラームを鳴らすなどして、同じ距離を長時間見続けないような工夫をすることで、眠気対策にもつながります。

 

眠らないと目の疲れが取れないという認識を変えることと、そもそも目を疲れさせる行動をしないという2点が大切なポイントとなります。

 

 

 

 

●甘いモノを食べると次に来る睡魔が強烈になる

 

あまりイメージできないかもしれませんが、甘いモノも睡魔の大好物です。とはいえ、甘いモノと睡魔が直接的につながっているわけではなく、間接的な要因によって発生するのです。

 

確かに集中力が途切れたときなどに、甘いモノを食べると疲れがとれた気がしますよね。血糖値が上がった状態のほうが、脳がよくはたらき、睡魔が減るからです。

 

ところが、これは睡魔の罠です。

 

甘いモノ、とくに白砂糖を含む物をとると、確かに血糖値が急激に上昇します。しかし、それを身体は異常だと判断して、インスリンを大量に分泌します。すると、今度は急激に血糖値が降下するのですが、血糖値が正常値に戻っても大量に血液の中に分泌されたインスリンの吸収は止まりません。そして、血糖値は正常値より下がった地点で止まることになります。

 

結果的に、血糖値が上がっていた時間よりも血糖値が下がってしまう時間のほうが長くなるため、睡魔が発生してしまうというわけです。少し強引な例になりますが、覚せい剤などと似た現象かもしれません。使った直後の気分は高揚しますが、その後の副作用は心身を破壊します。

また、糖分をとると体温が一時的に上昇しますが、その後徐々に低下していきます。この体温の低下も睡魔を発生させる要因になります。これは、甘いモノにかかわらず、食事全般やスポーツのあとの睡魔にも共通していえるものです。

 

 

 

 

●座り方や姿勢で睡魔は大きく変わる

 

原始時代から現代まで、ヒトは身体を横にして睡眠をとってきました。ということは、その姿勢の接触面で感じる重力や体重による圧力が、一番睡眠に適しているということなのです。つまり、身体がこの圧力に近い力を認識すると、睡魔が発生しやすくなるのです。

 

わかりやすいたとえがあります。電車の中で寝ている人のほぼ全員が、人体の構造上前傾姿勢のほうがバランスがとれるにもかかわらず、背もたれに身体をあずけ切っています。座席の端に座っている人は、側面と背面の両方に身体をあずけます。また、退屈な話を聞いて眠たくなるときは、多くの場合椅子の背もたれに体重をあずけています。身体が自然と接触面を広くしようとし、心地よい圧力を求めているのです。

 

つまり、仕事中や勉強中、椅子の座り方が悪いと睡魔が発生しやすくなるのです。

 

 

●眠気が発生しない姿勢とは?

 

対処法としては、椅子にはできるかぎり浅く座り、肘掛けを使わず、なるべく両脚の裏と尾てい骨を結んだ三角形の面積にバランスよく体重をのせた姿勢を意識して行うことです。パソコンでタイピングやマウスの操作をするときも、机に体重をかけすぎないようにするだけでも眠気が起きにくくなります。こうすると、自然と背筋が伸びますが、”よい姿勢”というのは短眠にも適しているのです。

 

また、重たい衣服を着ている人は、なるべく軽い素材の衣服に替えることでも睡魔の発生を抑える効果があります。

 

 

●快適な睡眠に圧力を利用する

 

もちろん、この圧力の効用を睡眠時に使うことができます。

上布団をかけたり、抱き枕を抱えると、大きな安心感が得られるのも、身体にかかる心地よい圧力によって、眠気が発生することが要因です。

 

パワーナップ時のように早く寝入りたいときは、背中にブランケットをかけるだけでも眠りやすくなります。

 

睡魔の発生する要因をただ排除するばかりではなく、なかなか寝付けないといったストレスがある場合は、あえて誘発するなどして睡魔をコントロールしてください。

 

 

 

●目も身体も脳も酸素不足で睡魔が出てくる

 

酸素不足で眠気が発生することも、よく知られていることです。

人が多い空間や、密室などで酸素の摂取量が下がると、脳は睡眠を促します。山登りなどで強い睡魔が発生することも酸素不足による要因です。人数の多い会議は、行動が受動的になるだけではなく酸素不足も大きな眠気の原因になっています。

 

スポーツをしたあとは、疲労によって眠気が発生すると考えられがちですが、体温の急激な上昇と下降、身体全体が酸素を使用するために起こる酸素量の低下が大きな眠気の原因なのです。

 

睡眠中はただでさえ酸素が不足しているのですが、いびきがあまりにひどい場合などは極端に酸素の供給量が下がってしまうため、翌日に睡魔が発生することもあります。睡眠時無呼吸症候群のほうが日中睡魔に襲われやすいのも酸素不足が要因の一つとなっています。

 

あくびは酸素不足を補う生理的な現象です。ですので、少し眠気を感じてきたら、いったん外へ出て、身体を大きく伸ばして深呼吸することが大切です。

 

北海道日本ハムファイターズの斉藤祐樹投手が早稲田実業高校時代に甲子園での連投の疲労回復のために使うことで有名になった酸素カプセルもオススメです。安くはないかもしれませんが、とくに睡眠時無呼吸症候群やいびきが多い人は、疲労回復だけではなく、酸素不足という睡魔の発生条件を軽減するので、家電屋さんや酸素カプセルレンタルのサービスを利用してみてください。ちなみに、ドラッグストアで売っている酸素スプレーハ、発生する酸素は多くはなく、使い捨てになるため費用対効果は低くなります。

 

ともあれ、金銭的な問題以前に、部屋に観葉植物を置いてみたり、部屋の換気をこまめにするなどして、新鮮な酸素をつねに一定量に保つことを心がけましょう。

 

 

●退屈な時間は野生生物なら必ず眠る

 

退屈な時間が睡魔を誘発するのは誰でも身に覚えてがあるはずです。映画館で上映中に眠ってしまった人も多いことでしょう。

 

この退屈な時間が睡魔を発生させる原因を動物の睡眠時間から探ってみましょう。

そもそも、動物によって睡眠時間に大きな開きがある理由として、食事にかける時間の長短があります。

 

象は大きな体に対して、低カロリーである草や木片を食べる草食系の動物です。野生の象はずっと草を食べているイメージがあるように、1日に16時間もの時間を食事に充てています。食事以外の行動を行うことも考えると、2時間以下の非常に短い睡眠時間になることをは必然的です。キリンも樹上の葉を食べたり、首を傾けて草を食べるので、食事に非常に時間がかかります。ドレッシングも何もかけない野菜のみで、1日に必要なカロリーを得ようとしていると考えてください。非常に大変な労力と時間のかかる作業になることがわかります。

 

野生世界から動物園に来た象やキリンの睡眠時間が増えることも、食事にかける時間が減ることで説明ができます。本来食事に16時間かけていた象が8時間ですませてしまった場合、8時間もの余暇時間が増えます。この時間すべてが睡眠に充てられるわけではありませんが、野生世界の倍以上眠ったとしても、活動するよりも眠ることが優先できる環境であれば何も問題なく生活できます。

 

つまり、もともと動物の世界では、睡眠とはすべき行動をすべて行ったあとに発生する余暇の時間に行われていました。何もすることがないときというのは、無駄なカロリーを消費しないように本能が働き、睡眠を促すようになります。

 

ニートや暇を持て余した方の睡眠時間が長い原因も、退屈な時間や時間を持て余すことが多いからです。忙しく働く経営者の睡眠時間が短いのは、余暇時間が極端に短いことが一つの原因になります。

 

ショートスリーパーになるためには、長時間睡眠で生活している今以上に、行動数を増やしたほうが、達成に非常に有利になります。

 

それには手が空いたときに行うタスクを、シチュエーション別に分けて箇条書きにしていおくことが大切です。つねに時間に追われるという感覚ではなく、自分がやりたいから、手が空いたときに楽しんで行うといった行為があればベストです。

 

 

実存的欲求不満

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「つまらない素人」の時代

 

「頭」で判断してしまう傾向の人々が陥りやすい罠があります。作品や演奏そのものではなく、そこに付随してくる二次的な情報に惑わされて、判断が甘くなるということです。

 

例えば、コンクールで優勝した人だから・・・といった来歴や、売れているから、テレビによく出ている人だから・・・といった知名度による判断などは、作品やパフォーマンスそのものへの判断を大きく狂わせる要因の一つです。

 

特に、コンクールなどで評価されたものは、専門家が高く評価したのだからきっと素晴らしいに違いない、と思われる方も少なくないでしょうが、これがはなはだ信用のならないものであることを、私たちは知っておかなければなりません。

 

夏目漱石の「素人と黒人」というエッセイには、「黒人(玄人)」つまり専門家の判断に惑わされてはならない、ということがきっぱりと述べられています。

 

 

良寛上人は嫌いなもののうちに詩人の詩と書家の書を平生から数えていた。詩人の詩、書家の書といえば、本職という意味から見て、これほど立派なものはないはずである。それを嫌う上人の見地は、黒人の臭をにくむ純粋でナイーヴな素人の品格から出ている。心の純なところ、気の精なるあたり、そこにすれからしにならない素人の尊さが潜んでいる。腹の空しいくせに腕で掻き回している悪辣がない。だから素人は拙を隠す技巧を有しないだけでも黒人よりもましだといわなければならない。自己には真面目に表現の要求があるということが、芸術の本体を構成する第一の資格である。

 

●素人はもとより部分的の研究なり観察に欠けている。その代り大きな輪郭に対しての第一印象は、この輪郭のなかで金魚のようにあぶあぶ浮いている黒人よりは鮮やかに把捉できる。黒人のように細かい鋭さは得られないかもしれないが、ある芸術全体を一眼に握る力において黒人よりも溌剌としている。富士山の全体は富士を離れたときにのみはっきりと眺められるのである。

 

 

 

「現代○○」が世界を席巻した現象も、「黒人」たちが大局を見失って、頭でっかちな先鋭化に暴走してしまったことによるものでした。しかし、真に良質なものは、たとえ素人であってもわかるはずのものだ、いや、むしろ素人の方が妙な先入観がない分、判断が曇らないだろうということを漱石は言っているのです。

 

ただし、ここで漱石の言う「素人」とは、「心」の純粋な感性が自由に働いている人のことであって、いくら素人でも、その人が、「わかる/わからない」「知っている/知らない」という「頭」レベルで安易に判定を下したり、二次的情報に左右されてしまうような場合には、その判断はまったく信用できないものとなります。漱石はこれを「つまらない素人」と呼び、「つまらない素人になれば局部も輪郭もめちゃめちゃで解らないのだから、そんな人々は自分の論ずる限りではないのである」と断じています。

 

「つまらない素人」とは、未知の優れた価値に目を開こうとしない閉じた精神の持ち主が、マスメディアに容易に煽られてしまうような人のことですが、これはムラ社会に典型的な人間像です。

 

彼らは、自分の慣れ親しんだ範疇を超えたものに対しては、その偏狭な価値観で「下らない!」と即断し、未知のものや歯が立たないものに自身が脅かされないように、それらの価値の切り下げを行う困った頑固さと、既存の権威や情報操作にあっけなく盲従してしまうという困った柔軟性を併せ持っています。

 

ちなみに最近では、この「つまらない素人」たちも、「難しいもの」の旗色が悪いという世間の風潮に見事に乗っかって、「いやあ、私なんかにはとても難しくて・・」という一見謙虚ともとれる表現をとりつつ対象の価値の切り下げを行うという、かなり巧妙な言い方をすることが増えているようです。

 

かつて「現代○○」によって深く植え付けられた「難解なもの」への不信が、反動として「わかりやすいもの」への過度な傾斜を生んだことはすでに述べましたが、別の言い方をすれば、「黒人」への信頼が失墜したことによって、逆に「素人」が活気づいたのだ、ということになるでしょう。

 

そのこと自体は、ある意味において歓迎すべきことだったと思われますが、これが皮肉にも「つまらない素人」たちに間違った自信を付与することにもなってしまいました。そこに浅薄なマーケティング原理も加わって、ただ「わかりやすい」「面白おかしい」だけの空疎なものが量産される結果となってしまった。そして、「つまらない素人」の偏狭な意見が世の中を席巻することになったのです。

 

そのような事情によって、現代に生きる私たちは「本物」にめぐり合うことが困難な環境に置かれてしまっているのですが、そんな中で私たちが「虚しさ」「つまらなさ」を感じてしまうのは、むしろ、至極真っ当なことだと言えるかもしれません。

 

 

 

●「満ち足りた空虚さ」とは ~実存的欲求不満~

 

40日間の断食で空腹だったキリストは、サタンによって「その石をパンに変えてみたらどうだ?」と誘惑されます。しかし、キリストは「人はパンのみにて生きるにあらず」と言ってこれをはねつけました。

 

一方、6年にわたって断食の修行をしていた仏陀は、これではただ心身が衰弱するだけで一向に悟りなど開けそうにもないと思い、村娘のスジャータから供されたミルク粥を食べることにしました。するとそのおかげもあって、仏陀はそれから間もなく悟りを得ることができました。

 

このように、同じ空腹状態でもキリストと仏陀とで、真逆の行動をとった逸話が残っているのはとても興味深いことです。

 

しかし、そもそも仏陀はある小国の王子だったけれども、外の世界が飢えや「生老病死」の苦しみに満ちていることを知って、それまでの何不自由ない裕福な生活と家族を捨て、修行の旅に出る決意をしたという経緯があります。その意味では、仏陀もやはり、「人はパンのみにて生きるにあらず」という思いが、宗教者としての出発点であったのだと言うことができるでしょう。

 

人間は、それでもやはり動物の一種であるのですから、飢えの問題を真っ先に解決しようとします。しかし、それがある程度満たされた時、人は、次に安全の欲求、所属の欲求、承認の欲求などに向かっていき、最後には高次の欲求である自己実現の欲求に向かいます。

 

これは、マズローという心理学者が唱えた「欲求段階説」の考え方ですが、フランクルはこれに対して、必ずしもそのような順番になっているわけではないと、指摘しています。

 

 

●ご存知のように、マズローは低次の欲求と高次の欲求とを区別して、低次の欲求を充足することは、そのものでだけ高次の欲求が充足され得る条件である、と言いました。彼は高次の欲求のうちに、意味への意志も数え入れ、そしてそれを「人間の原初的な動機づけ」とみなすところにまでも進んでいます。たしかに、このことは、人間が生きる意味を要求するようになるのは、彼の生活がうまくいっている場合にかぎる{「衣食足りて礼節を知る」}ということになります。しかしながら、これには、私たち---そしてとりわけ精神科医---には、最も具合が悪い場合にこそ欲求や生きる意味への問いが燃え上がるのを繰り返し観察する機会があるということが対立しているのです。私たちの患者たちの中の死にかけている人々はこのことを、強制収容所や捕虜収容所の生き残った人々と同様に、証明することができるのであります!

 

 

 

ややわかりにくいので整理しますと、マズローが「高次の欲求」として「意味への意志(生きる意味を求めるということ)」というフランクルの唱えた概念を重視してくれたのは有難いが、しかし、人は「低次の欲求」が満たされて初めて「高次の欲求」に向かうものだというマズローの考えには賛同できないとフランクルは言っているのです。フランクルは、精神科医としても強制収容所経験者としても、それは事実とは異なると主張します。つまり、人はたとえ「低次の欲求」が満たされていないような極限状態にあっても、むしろそれだからこそ「高次の欲求」である「意味への意志」を激しく求めるものなのだ、と言っているのです。

 

私はこの議論について、単純にどちらの主張が正しいのかと二者択一で考えるよりも、どちらにも、人間というものの真実が述べられていると考えるのが妥当だと思います。

 

マズローの言うような「低次から高次へ」という段階を経て初めて、人生の意味について考え始めることになる人々が少なくないことは事実ですし、一方、「低次の欲求」が満たされていないにもかかわらず「生きる意味を問う」ことを最優先に求める人がいることもまった真実であることも、数多くあります。

 

ですから、正確に言えば、欲求の段階を順次踏んだ後に「意味への意志」に目覚めることもあれば、「低次の欲求」が満たされない状況でも「意味への意志」を求める人もある、ということになるでしょう。これは、その人が生来どの程度の内省力を有しているのかによって、分かれるのではないかと思います。

 

この問題は、次のように考えてみれば、かなり整理がつくのではないでしょうか。

 

人は、「低次の欲求を満たすこと」にのみ意識が向かっているような状態では、それを満たすことがあたかも「生きる意味」であるかのように錯覚してしまうために、この段階では「意味への意志」は発動されない。しかし、人は、それが「満たされる可能性がない」という真に行き詰った状態に陥った時、あるいは「もう満たされている」ので、あえてそこに意識を向ける必要がなくなったような時に、初めて自身の「生き死に」、つまり「自分の生が限りあるものであること」が視野に入ってくる。そして、そこから必然的に「なぜ生きるのか」という実存的な問いが析出してくるのではないか、ということです。